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ひらいむら447号、449ごうこふん、けんだいちょう568こふん / しらいしこふんぐん
平井村447号、449号古墳、県台帳1568古墳 / 白石古墳群
 

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白石古墳群・下郷支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群の一つ、下郷支群に分類され、下郷古墳群と表記される場合もある。

4つの支群の中の南東部に位置し、1980年代に行われた藤岡市の遺跡分布調査では、2基の前方後円墳、萩原塚古墳、白石二子山古墳を中心に、4つの支群中、最も多い55基の古墳 が確認されている。

現在、皇子塚古墳平井地区1号古墳白石稲荷山古墳が所在する稲荷山支群北部を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められているが、猿田川の東側に位置する猿田支群、下郷支群 はほとんど放置状態で、個人の敷地内に残存古墳が寂しく点在している。
 


白石古墳群分布図
(資料を基に独自に作成したもの)
 



▲平井村449号古墳

西側から。南側は一般の墓地
 


平井村449号古墳

かつての多野郡平井村に所在し、その地籍から、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査で、平井村449号古墳と採番された古墳と推定した。

墳丘の南側が一般の墓地となっている。

下記の2基とは小道を隔てた、すぐ北側に所在する。
 



▲平井村447号古墳

西側から。北側は墓地で削平。
一般の墓地なので、墓石等に
ぼかしを入れてあります
 


平井村447号古墳

かつての多野郡平井村に所在し、その地籍や他の古墳ファンサイトを参考に、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査で、平井村447号古墳と採番された古墳と推定した。

墳丘の北側と東側が一般の墓地となっている。

しかし、県台帳の記述からすると「無名古墳(県台帳1568)?」の方の可能性も?
 



▲無名古墳(県台帳1568)?

上記の447号古墳の東に接する。
そもそも古墳でない可能性も?
 


無名古墳(県台帳1568)?

かつての多野郡平井村に所在し、その地籍と、「群馬県古墳総覧〈2017〉」の分布図の位置から、「群馬県遺跡台帳U(西毛編)」記載のNo.1568の古墳と推定した。

しかし、県台帳の「北側墳丘減失。墓地として使用」などの記述は、すぐ東に接する447号古墳の方に当てはまるので、どこかで混同があるかもしれない。
 

史跡指定   所在地 【447号】群馬県藤岡市白石(字洞)2006(字洞)
【449号】群馬県藤岡市白石(字洞)2009(字洞)
【無名】藤岡市白石(字洞)2005-1
所有者:個人?
別名 平井村447号古墳 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
遺跡番号 古145 名称なし 「マッピングぐんま」 
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
平井村449号古墳 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
遺跡番号 古142 名称なし 「マッピングぐんま」 
無名古墳?
No.1568 名称なし 「群馬県遺跡台帳」 
築造年代  
形状 【447号】円墳 径:50尺(約51m)
【449号】円墳 径:80尺(約24m)
【無名】円墳
埋葬施設 不明
出土遺物  
周辺施設  
調査 【447号】【449号】(有)
【無名】(測量)昭和45〜昭和46
文献 『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県、『群馬県遺跡台帳U(西毛編)』 1971 群馬県教育委員会  

探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2019年07月10日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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旧写真  

 

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