【埼玉6号墳】
さきたま風土記の丘内で、東西南北に、将軍山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、稲荷山古墳の巨大古墳に囲まれた位置に所在する小円墳群(南小円墳群10基)中の1基。
埼玉2号墳(梅塚)〜7号墳までは、かつては農地で、墳丘が削平されており、所在が分からなかったが、1968年(昭和43年)、航空写真によりクロップマーク(※)が確認された。
(※) 農地などで、植物がその生育度合いの差によって作り出す模様のことで、埋没した遺跡の上に現れ、発見の手がかりとなる。
1974年(昭和49年)、1号墳〜7号墳まで発掘調査され、1989年(平成元年)に、「埼玉古墳群」の史跡範囲に追加指定された。
周辺の小円墳跡の中では、梅塚古墳(2号墳)より
わずかに小さく、西側にブリッジを有している。
【ボッチ山古墳と同一か混同?】
行田市遺跡地図では、この6号墳の位置が「ボッチ山古墳(埼玉6号墳)」となっている。
ボッチ山古墳は、他の大型古墳と共に最初に国史跡となったものの、削平されてしまい、正確な位置は不明だが、2018年の「史跡埼玉古墳群総括報告書1」
や「埼玉の古墳
北埼玉・南埼玉・北葛飾」では、この6号墳の南東側に近接した位置に推定されており、別の古墳とされている。
当方でも、それらに従い、別の古墳とする。
【由来・来歴】
1938年(昭和13年)10月、墳丘の土取り時に水鳥型埴輪が発見されており、その時点までは墳丘があり、古墳と認識されていたようである。
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