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             ごんげんづかこふん / おおくぼこふんぐん (しらくわしぐん)
さいたま市指定史跡 
権現塚古墳 / 大久保古墳群 (白鍬支群)
 

※写真は全てクリックで拡大します※


大久保古墳群

大久保古墳群は、 さいたま市西部の鴨川沿いの肥沃な農作地帯に北から植水古墳群側ヶ谷戸古墳群大久保古墳群など長く繋がる古墳群の一支群である。

さいたま市桜区(←旧浦和市←旧大久保村)に分布する古墳群で、北部の白鍬地区のものを白鍬支群、南西部のものを大久保支群 として分類される。

墳丘が残存している5基がさいたま市の史跡に指定されている。

「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では、29基の記載があるが、近年の調査で多くの古墳跡が確認されており、総数40基以上に上る。
 

白鍬宮腰遺跡

白鍬宮腰遺跡は、さいたま市西部の桜区白鍬に所在する、旧石器時代〜中世にわたる遺跡群である。

遺跡範囲は南北約660m、東西約280mで、遺跡内にかね山古墳、御嶽山古墳、権現塚古墳白鍬塚山古墳など墳丘の一部が残存する4基の古墳が知られている。

その他、16次まで行われた発掘調査により、それまで知られていなかった円墳(円形周溝)跡など、17基確認されている。
 



▲西側駐車場から

住宅の間にわずかに墳丘が残る
 

権現塚古墳

桜区白鍬に所在する白鍬宮腰遺跡の中に現存する古墳の1基で、古くから知られていた。

古墳群としては、大久保古墳群中の白鍬支群(白鍬古墳群とも)中の1基に分類され、1960年(昭和35年)に、旧浦和市の史跡に指定されている。

住宅地の中に僅かに残存し、墳丘上には蔵王権現が祀られている。

発掘調査等は行われておらず、詳細は分かっていない。

埴輪が出土したという情報もあるが、現在地は不明。

解説板では、7世紀頃の古墳とされているが、出土したという埴輪から推定されたものか。

今後、墳丘の隣接する住宅の建て替えなどが行われることがあれば、発掘調査され、より多くのことが分かるかもれしない。


▲現地解説板
昭和53年3月
浦和市教育委員会による
 

 

所在地 埼玉県さいたま市桜区大字白鍬362-2 (旧浦和市)
所有者:個人
アクセス
駐車場

さいたま市の古墳地図
史跡指定 さいたま市指定史跡 『権現塚古墳』
 1960年(昭和35年)3月25日指定
築造年代 7世紀
形状 円墳 (現状)
径:10m 
高さ:105m
出土遺物 埴輪
調査暦 なし  

探検日(写真撮影日) 2008年11月22日
最新データ更新日 2022年06月25日

文献 浦和市遺跡調査会報告書123:白鍬宮腰遺跡発掘調査報告書(第2次)』浦和市遺跡調査会
さいたま市遺跡調査会報告書 17集:白鍬宮腰遺跡(第8・10次)』さいたま市遺跡調査会
第32回特別展 さいたまの古墳(2009) さいたま市立博物館
「指定文化財総目録」さいたま市教育委員会
「技と巧 息吹と跡 −さいたま市の指定文化財−」さいたま市教育委員会
「さいたま市文化財マップ」さいたま市教育委員会
埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)

 

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