【大久保古墳群】大久保古墳群は、
さいたま市西部の鴨川沿いの肥沃な農作地帯に北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群など長く繋がる古墳群の一支群である。
さいたま市桜区(←旧浦和市←旧大久保村)に分布する古墳群で、北部の白鍬地区のものを白鍬支群、南西部のものを大久保支群
として分類される。
墳丘が残存している5基がさいたま市の史跡に指定されている。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では、29基の記載があるが、近年の調査で多くの古墳跡が確認されており、総数40基以上に上る。
【白鍬塚山古墳】
桜区白鍬に所在する白鍬宮腰遺跡の中に現存する古墳の1基。
古墳群としては、大久保古墳群中の白鍬支群中(白鍬古墳群とも)の1基に分類され、1971年(昭和46年)に、旧浦和市の史跡に指定されている。
1988年(昭和63年)、隣接地の共同住宅建設に伴い行われた白鍬宮腰遺跡第2次発掘調査で、最大幅9mの周溝の一部が確認された。
周溝内から出土した埴輪などから、築造は5世紀後半であり、さいたま市で確認されている中では最も古い古墳である。※
(※ 2014年、側ヶ谷戸古墳群で調査された中郷古墳/側ヶ谷戸17号墳が5世紀中ごろ〜後半で
より古い可能性も。また、大久保支群の塚本塚山古墳が前方後方墳であれば4世紀代で最も古いかも)
1988年の第2次調査と2014年の14次調査で確認された周堀の状態の形状から、円墳ではなく、帆立貝型式古墳であった可能性も指摘されている。
また、1988年の第2次調査では、西側周溝に隣接して2基の円形周溝墓、2014年の14次調査では、その北側の周溝と2基の円墳跡が確認されている。(→詳細は右記)
すぐ東側にも白鍬遺跡1号古墳跡が確認されており、50mほど北に接して、御嶽山古墳(遊び塚)が残存し、その西に古墳の周溝跡も確認されている。
小古墳が密集している地帯で、30m級の円墳、あるいは前方後円墳であれば、主的な存在だったと思われる。
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▲南西側から
住宅の間にわずかに墳丘が残る
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【白鍬宮腰遺跡】
白鍬宮腰遺跡は、さいたま市西部の桜区白鍬に所在する、旧石器時代〜中世にわたる遺跡群である。
遺跡範囲は南北約660m、東西約280mで、遺跡内にかね山古墳、御嶽山古墳、権現塚古墳、白鍬塚山古墳など墳丘の一部が残存する4基の古墳が知られている。
その他、16次まで行われた発掘調査により、それまで知られていなかった円墳(円形周溝)跡など、17基確認されている。
【白鍬宮腰1号、2号円形周溝墓】
1988年(昭和63年)、共同住宅建設に伴い行われた白鍬宮腰遺跡の第2次発掘調査で、白鍬塚山古墳の周溝の一部と、その西側に隣接して、同時期と思われる2基の円形周溝墓が確認された。
(資料により、小円墳と表記される)
(←左の測量図参照)
乳文鏡(にゅうもんきょう)※や鉄鏃(てつぞく)、装飾品など、多数の副葬品が出土し、古墳に準ずるものとされている。
※乳文鏡 背面に乳頭状の突起を配した文様を持つ、4、5世紀の日本製の青銅鏡。
1992年(平成4年)、副葬品は白鍬塚山古墳の出土品と一括して、『白鍬宮腰遺跡出土品』として、さいたま市の有形文化財に指定された。
→さいたま市の文化財紹介ページ
【白鍬宮腰第14次1号墳、2号墳】
2016年(平成28年)、共同住宅建設に伴い行われた白鍬宮腰遺跡の第14次発掘調査で、2次調査区の北側と白鍬塚山古墳の周溝の一部と、新発見の円墳2基が確認された。(←左の測量図参照)
出土遺物や、周堀の重複などから、
1号墳は、白鍬塚山古墳や2号墳より、やや早い、5世紀前半から中葉、
2号墳は、5世紀後半〜6世紀と推定される。
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