【白石古墳群・稲荷山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。
中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
現在、稲荷山支群の皇子塚古墳、平井地区1号古墳、白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。

▲「毛野国白石丘陵公園」古墳分布図
藤岡市の計画図を利用して独自に作成
平井地区1号古墳の東側に所在し、皇子塚古墳から北東へ、平井地区2号古墳、平井地区2号北古墳と一直線に3基並んでいるが、その延長線上にこの古墳(?)が所在する。
古墳とすると、平井地区2号古墳、平井地区2号北古墳と同時期(7世紀前半)に3基並んで造られた仲間かもしれない。
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▲南西から、公園の北東の隅
複数の境界石で囲まれた一角
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【古墳か?】
毛野国白石丘陵公園の北東の隅に所在する古墳跡らしき文化財。
発掘調査されたような雰囲気で、「文化財境界」と書かれた境界石に囲まれており、古墳、住居跡などの何らかの文化財であることは間違いないと思われるが、付近の発掘調査報告書を入手できなかったので、詳細は不明である。
皇子塚古墳、平井地区1号古墳が所在するこの周辺は、史跡公園化に伴ない、三ツ木東原遺跡など多数の古墳、住居跡などが発掘調査されている。
仮に古墳とすると、三ツ木東原遺跡の古墳か、平井村〇号墳とつく古墳かと思ったが、遺跡の分布は皇子塚古墳、平井地区1号
古墳の西から南にかけて分布しているようなので、北東に位置するこの古墳(?)には当てはまるものが見つからない。
古墳(?)が所在するのは旧平井村の稲荷山支群がある丘陵上だが、旧美土里村の七輿山支群との境に位置し、住所的には平井村の三ツ木字東原ではなく、美土里村の上落合字七輿に入るようである。
「マッピングぐんま」では最も近い古墳の住所が「上落合844-3」であり、綜覧より「上落合844」に所在の美土里村32号と仮定した。
もちろん、別の古墳かもしれないし、そもそも古墳ですらないかもしれない。
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