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 ひらいづか2ごうこふん、ひらいづか2ごうきたこふん) / しらいしこふんぐん
平井地区2号古墳、平井地区2号北古墳 / 白石古墳群

 

※写真は全てクリックで拡大します※


白石古墳群・稲荷山支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群 の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。

中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。

現在、稲荷山支群の皇子塚古墳平井地区1号墳白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。


▲「毛野国白石丘陵公園」古墳分布図

藤岡市の計画図を利用して独自に作成
 

平井地区2号古墳、2号北古墳

稲荷山支群の北端に位置し、2012年(平成24年)、公園整備伴い、発掘調査され、公園内に現状保存されている。

調査により、横穴式石室や埴輪を伴なう7世紀前半の築造の古墳と判明し、西側に近接する平井地区1号古墳皇子塚古墳(2基とも6世紀後半)より遅い築造となる。

「上毛古墳綜覧〈1938〉」には記載がないようで、藤岡市では、藤岡市19号古墳、18号古墳とされている。

また、「群馬県史 資料編3」では、皇塚(皇子塚)古墳 の項に「周囲に複数の小円墳を伴なっていた」とあり、これらの古墳も膨れていたかもしれない。
 



▲2号北古墳、北から

東側は斜面になっており、かつて
横穴式石室が開口していたが、
2012年(平成24年)、史跡公園
整備伴い、発掘調査されたのち、
保存のため埋め戻されたようだ


▲2号墳、西から

かつては草木に覆われていたが
現在は公園内で整備されている。

墳頂がわずかにへこんでいる
のは、横穴式石室の陥没か
 

▲2号北古墳、南西から

左奥が美土里村32号古墳?
 

▲2号墳、南西から

左奥が2号北古墳

▲西側の丘陵下から遠景左手前

一番左の高い墳丘が皇子塚古墳
真ん中が平井地区2号古墳
一番右が平井地区2号北古墳
 

▲北側から

左手前が平井地区2号北古墳
真ん中が平井地区2号古墳
右奥の高い墳丘が皇子塚古墳
 
平井地区1号古墳の東側に所在し、皇子塚古墳から北東へ
平井地区2号古墳平井地区2号北古墳と一直線に3基並んでいる
(推定・美土里村32号古墳?が古墳とすると4基並んでいることになる)
 
史跡指定   所在地 【2号北古墳】群馬県藤岡市三ツ木字東原248
【2号古墳】群馬県藤岡市三ツ木字東原249-4
所有者:藤岡市?
別名 【2号北古墳】 藤岡市18号古墳
遺跡番号 古018 平井地区2号北古墳
【2号古墳】 藤岡市19号古墳 遺跡番号古019 平井地区2号古墳「マッピングぐんま」
記載なし 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
築造年代 7世紀前半
形状 【2号北古墳、2号古墳】円墳 
埋葬施設 【2号北古墳、2号古墳】両袖型横穴式石室
出土遺物 【2号北古墳】墳丘:埴輪(円筒)  周堀:埴輪(円筒、人物)
【2号古墳】墳丘:埴輪(円筒、器財)、土師器、須恵器
周辺施設 【2号北古墳】周堀、埴輪列
【2号古墳】埴輪列
調査 (発掘)平成24.3.1〜平成24.3.30
(測量)昭和58.11.11〜昭和59.1.19
文献 『藤岡市遺跡詳細分布調査(V)-平井地区-』 1984 藤岡市教育委員会、『藤岡市遺跡分布図(2009年版)』 2009 藤岡市教育委員会、『平井地区2号墳、平井地区2号北古墳』 2014 藤岡市教育委員会  

第一回探検日(写真撮影日)  2003年09月27日
第二回探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2019年07月07日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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