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そうえいじうらにしづかこふん(みどりむら4ごうこふん) / しろいしこふんぐん
宗永寺裏西塚古墳(美土里村4号古墳) / 白石古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


白石古墳群・七輿山支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群 の一つ、七輿山支群に分類され、七輿山古墳群と表記される場合もある。

中心となる七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、稲荷山支群の白石稲荷山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。

七輿山支群には他に2基の前方後円墳(宗永寺裏西塚古墳宗永寺裏東塚古墳)が 現存するが、規模の縮小化されたものである。

最北端に位置する伊勢塚古墳は不正八角形を疑われる円墳で、模様積みの美しい石室は一見の価値がある。

稲荷山支群の中心部と、七輿山古墳を含む地域一帯が、現在、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。
 

宗永寺裏西塚古墳

七輿山古墳の東に近接する宗永寺境内に残存する2基の前方後円墳のうちの1基。

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、美土里村4号古墳と採番されている。

「群馬県遺跡台帳」には「石室は減失、その石材が散乱」とあり、横穴式石室を有していたと推定されているが、早い時期に失われたようである。

七輿山支群に現存する3基の前方後円墳の中では最後に造られたものであるが、先行する七輿山古墳と比べて、規模は約1/3ほどに縮小化されてしまっている。
 



▲南から

左が前方部で、右が後円部で、七輿山古墳とほぼ主軸を同じくしている。
古墳の前に覆い屋で保存されている舟形石棺は東塚古墳のもの
 

▲南から前方部
 

堀越二郎の郷里

藤岡市はスタジオジブリ映画「風立ちぬ」のモデルで、零戦の主任設計者である堀越二郎氏の郷里であり、七輿山古墳の北、数100mのところに生家があったと言う。

正確な位置は確認していないが、伊勢塚古墳に近い辺りで、伊勢塚古墳もかつて堀越氏の所有だったという話もある。

宗永寺裏西塚古墳の墳丘上にある墓所も堀越一族のものということだ。(墳丘上には登っておらず未確認)

他に何もない田園地域で、古墳などの小山は子供たちの絶好の遊び場であったろうし、堀越二郎氏もこの古墳や七輿山古墳などに登り、大空に思いを馳せ、のびのびとした幼少時代を過ごしたのかもしれない。


▲墳丘上は墓所のようで
古い石造物がたくさん
 
史跡指定   所在地 群馬県藤岡市上落合849
(多野郡美土里村大字上落合字七輿849)
所有者:宗永寺
別名 七輿古墳群
No.1289 「群馬県遺跡台帳」
美土里村4号古墳 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
遺跡番号 古008 「マッピングぐんま」 
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
築造年代 6世紀後半
形状 前方後円墳
全長:48m
埋葬施設 横穴式石室
出土遺物 板押さえの底部調整埴輪
周辺施設 埴輪列
調査 (有)
文献 『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県  

探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2020年07月05日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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