【白石古墳群・下郷支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群の一つ、下郷支群に分類され、下郷古墳群と表記される場合もある。
4つの支群の中の南東部に位置し、1980年代に行われた藤岡市の遺跡分布調査では、2基の前方後円墳、萩原塚古墳、白石二子山古墳を中心に、4つの支群中、最も多い55基の古墳
が確認されている。
現在、皇子塚古墳、平井地区1号古墳、白石稲荷山古墳が所在する稲荷山支群北部を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められているが、猿田川の東側に位置する猿田支群、下郷支群
はほとんど放置状態で、個人の敷地内に残存古墳が寂しく点在している。

▲白石古墳群分布図
(資料を基に独自に作成したもの)
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▲北側から
墳丘西側のなだらかさに比して、
東側が陥没しているように見える
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【平井村505号古墳】 西側の上位段丘上の巨大な白石稲荷山古墳が見下ろす県道173号線沿いに数基残存する円墳のうちの一基。
かつての多野郡平井村に所在し、その地籍にから、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査で平井村505号古墳と採番された古墳と推定した。
すぐ北側に藤岡市99号古墳、平井村509号古墳が並んで現存する。
「群馬県遺跡台帳」には「円墳、径東西20.8m、南北22.8m、高さ4m、豚放牧場、墳丘上は平坦、天井石取り除かれる、くぼみあり」とある。
墳丘の東側が陥没しているとすると、上記の記述と一致するか。
ちなみに、「マッピングぐんま」 を見ると平井村505号に該当する古墳は見当たらず、平井村506号古墳(瀧1857所在)に当たるように思えるが、「群馬県遺跡台帳」によると瀧1857所在の古墳は「古墳跡、道路に削平され、今は判明せず、封土、石室、完全に取り除かれた」とあるので、完全に消滅したと思われる。
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