【四戸の古墳群】吾妻川と温川の合流点の西側台地上、岩島四戸地区にある墳丘8〜14m規模の円墳で構成される群集墳
。
『上毛古墳綜覧』(1938 (昭和13)年)には20数基の記載があったがほとんどが消滅したらしい。
現存する4基(I号〜IV号)が東吾妻町の史跡に一括指定された
。
東吾妻町では史跡指定された唯一の古墳群である。
【石室の造りの変遷】
築造順はI号古墳→IV号古墳→III号古墳→II号古墳か?
前半と後半では、石室の造り方が変化しているように思える
前半のI号古墳、IV号古墳は細長く高さもない、小さな川原石を積み上げた竪穴式のような横穴式石室が特徴的
。
後半のIII号古墳、II号古墳は巨石を使った
よりダイナミックな造りになっている。
当方が十五塚古墳?と推定した古墳も後半の造りに近いように見える。
2018年に発掘調査された3基(新発見の1基を含む)は前半のI号古墳、IV号古墳と同じ構造のようだ
(詳細は下記を参照)
▲I号古墳前の解説板
【古墳名について】
ネット上の古墳紹介サイトなどでは、「四戸古墳群」と「の」が省略した呼称が散見されるが、東吾妻町や県教育委員会などでは省略しない呼称を用いているので
、当方でもそれに準じて「四戸の古墳群」と表記する。
個々の古墳の号数については、本来はローマ数字(1文字)だが、ネット上での文字化け回避のため、アルファベットで代用することとする。
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▲四戸の古墳群分布図
番号の詳細は下記の「四戸の古墳群一覧表」を参照のこと
●など色つきのものは、実際に見学した場所など
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【発掘調査された古墳3基】
八ッ場ダムへと繋がるバイパス建設工事のため、この地区の多くの遺跡が消滅する予定で調査されている。
この四戸の古墳群にかかる調査区域は上の古墳分布図で紫で囲んだ場所。
以前から知られていた古墳2基の他に、新たに一基の古墳が発見されたそうである。
上毛古墳綜覧〈1938〉によるとこの区域には、岩島村22号古墳と岩島村24号(分布図の47と49)の2基の記述があるため、今回発掘された既知の古墳とはこの2基のことと考えられる
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▲発掘調査された古墳3基・築造は6世紀が1基、7世紀が2基
・盛土や石室の天井石は失われていた
・埋葬施設はI号古墳、IV号古墳と同様の無袖型の横穴式石室
・石室入口前面に石を並べ墓道状の施設を造るという、他の地域であまり見られない構造
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▲左の写真の左上?の
位置に散乱していた石
周囲に散乱していた石を一箇所にまとめたものか古墳を構成していた石も含まれるのではないだろうか
調査区域は既に埋め戻されたのかこの石だまりしか確認できなかった |