【いしぶみの里公園内の移築古墳】
大沢川左岸にある群集墳、神保古墳群中の一基
に含まれると思われるが、現在はいしぶみの里公園内に石室が移築保存されている。
神保古墳群は元は100基を超していたとされ、昭和10年の県下一斉古墳調査では63基登録され
ており、かつての「字南高原」(現在、字は廃止されている)に集中していたが、現存するのはわずかのようだ。
神保古墳群は高崎市指定史跡となっているが、この古墳の墳丘は削平されており、指定範囲外のようだ。
「多胡村○号」というのは多胡古墳群の通番ではなく、多胡村の古墳の通番で、多胡古墳群は大沢川の対岸(東側)に広がっている。
【古墳の呼称について】
2002年の第一回訪問時には「南高原1号古墳」という呼称は用いておらず、廃止される前の字は「北高原」だったと記憶している。
群馬県古墳総覧〈2017〉に「南高原1号古墳」の記載はなく、「多胡村115号古墳」は「長根遺跡群1号墳」と記載されている。
「長根遺跡群」とは鏑川右岸の台地に立地し、天引川と大沢川の間に所在する遺跡を便宜的に呼称するもので、この神保古墳群も「長根遺跡群」中に含まれる。
所在地が「神保259〜261」と「下長根490-2」では全く違うように見え、別の古墳かと思うが、「神保字南高原」と「下長根下高原」は接しており、この古墳の元の所在地はその境界付近に推定され、区画整理などで住所変更になったのだとしても矛盾はない。
(現在、農地なので、地番は確定的ではない)
「南高原1号古墳」=「長根遺跡群1号墳」でほぼ間違いないと思われる。
神保古墳群がかつての南高原中心に存在した古墳群なので、そのうちの一基という意味で「南高原1号古墳」の呼称を新たにつけたのかもしれない。
|