【白石古墳群・下郷支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群の一つ、下郷支群に分類され、下郷古墳群と表記される場合もある。
4つの支群の中の南東部に位置し、1980年代に行われた藤岡市の遺跡分布調査では、2基の前方後円墳、萩原塚古墳、白石二子山古墳を中心に、4つの支群中、最も多い55基の古墳
が確認されている。
現在、皇子塚古墳、平井地区1号古墳、白石稲荷山古墳が所在する稲荷山支群北部を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められているが、猿田川の東側に位置する猿田支群、下郷支群
はほとんど放置状態で、個人の敷地内に残存古墳が寂しく点在している。

▲白石古墳群分布図
(資料を基に独自に作成したもの)
【堀越二郎の郷里】
余談だか、藤岡市はスタジオジブリ映画「風立ちぬ」のモデルで、零戦の主任設計者・堀越二郎氏の郷里であり、
ここから2kmほど北の伊勢塚古墳付近に生家があったと言う。
また、かつて伊勢塚古墳は堀越氏の所有だったとか、七輿山古墳の東の宗永寺(宗永寺裏西塚古墳の墳丘上)にも堀越一族の墓所があるという話もある。
この堀越塚も堀越二郎氏に縁のものか?偶然に名前が同じだけなのだろうか?(未確認)
|

▲北西から
角地にあり、北側と西側は道路に
より削り取られ、コンクリートや
ブロックで土止めされており、
標柱と解説板は敷地内の墳丘の
高い位置で、非常に読みにくい
|
【堀越塚古墳】
鮎川左岸の河岸段丘上にあり、南側に傾斜する斜面を利用して造られた、下郷支群を代表的する古墳で、下郷支群の中では、唯一、史跡指定(藤岡市)されている。
かつての多野郡平井村に所在し、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、平井村465号古墳と採番されているが、所有者のお名前から、古くより「堀越塚」と呼び称されている。
かつては、道路を挟んだ西側の龍泉寺の墓地に所在する平井村464号古墳(白石1936所在、前方後円墳と記載)が、堀越塚の前方部
と考えられ、堀越塚を後円部として、2基は一つの前方後円墳とされていたようである。
しかし、1991年(平成4年)度、道路拡張工事により、円墳と判明し、7基とされていた白石古墳群の前方後円墳は6基となった。
また、道路拡張工事により調査された「下郷古墳群A地点」の範囲に一部または全部が含まれ、その名称で呼ばれることもあるようである。
調査報告書等が入手できなかったので、詳細は不明だが、下郷古墳群A地点は堀越塚古墳の北東から西南へと通る道路を中心とした周辺かと思われる。
堀越塚古墳はその道路により、北と西側の一部を削り取られ、東側も宅地によりは宅地により削り取られている。
南西に開口する両袖型の横穴式石室も削られており、現在、玄室と羨道の一部が現存している状態である。
上記名称とは別に、平井地区〇号墳という名称が付与されているのかもしれないが、「藤岡市遺跡詳細分布調査」が入手できなかったので不明である。
|