【国分古墳群中の一基】
近隣に所在する山王塚古墳・国分寺愛宕塚古墳と共に国分古墳群を形成する中心的な存在だったと考えられる。
【下野型石棺式石室】
大きな一枚岩を加工して組み合わせた石室は、この地方特有のもので下野型石棺式石室とも呼ばれる。
これまで、玄室のみの単室構造と考えられてきたが、2006年の発掘調査で玄室の前に河原石積の痕跡が確認され、複室構造であった可能性がある。
また、大きな一枚切石の中央を幅0.72m、高さ0.9mに刳り抜いていた刳り抜き玄門もあり、石材加工技術の高さがうかがいしれる。
1kmほど北の吾妻古墳も同様の刳り抜き玄門をもっていたが、現在は壬生城址公園に移されている。
【しもつけ古墳群中の一基】
また、この地方の特有の下野型古墳の特徴を持ち、1kmほど北の吾妻古墳に続いて造られたしもつけ古墳群を構成する一基とされる
。
〜しもつけ古墳群とは〜
栃木南部(下野市、栃木市、
小山市、上三川町、壬生町)で
6〜7世紀の間に作られた
この地域に共通する特徴
(下記の下野型古墳の3要素)を
持つ大型古墳・有力首長墓
(6〜7系譜の古墳群)の総称
〜下野型古墳の3要素とは〜
(1)墳丘の第1段目に幅広の
「基壇」を持つこと
(2)前方部に石室を持ち、
後円部には内部主体を設けない
(2)凝灰岩切石を用いた
横穴式石室
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