▲飯塚古墳群周辺の遺跡地図
■飯塚古墳群
■発掘調査区域(右図は拡大)
【従者の奥津城?】
栃木県最大の前方後円墳・摩利支天塚古墳や琵琶塚古墳の西に隣接する群集墳
。
南北1.5km、東西0.4kmの広い範囲に100基を超える古墳が分布しており、立地などから5〜6群に分けられるが、現存する古墳は僅かである。
摩利支天塚古墳や琵琶塚古墳の被葬者は下毛野国を支配した王者であり、飯塚古墳群はその両者を支えた従者一族の墓域ではないかと考えられている
。
摩利支天塚古墳に近い前方後円墳の飯塚35号墳はその重要性を認められ、
小山市の史跡に指定されている。
【横穴式石室は地下に残存】 古墳の大半は昭和40年代以前に行われた土地改良事業等により、墳丘が削平された
しかし、小山市の後期群集墳の内部主体の内、横穴式石室は地下に構築されることが多く、墳丘が削平されても、石室は地下に残存していることがあり、開発や耕作の障害となることが多々あったようだ
。
そのため、地下の石は除去され、急速に古墳は破壊されていった。
右上の調査も遺構の除去のための事前調査として行われ、調査後、ほとんどの古墳は取り壊されている
【摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館】
飯塚31号墳、42号墳、44号墳の展示コーナーが設けられており出土遺物を見ることができる。
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【開発のための事前の発掘調査】地権者から、地下に残存し、
開発や耕作の邪魔となって
いる石室石材を抜き取りたい
旨の要望が出されたため
▲昭和58年〜平成8年までの
発掘調査の中心区域
34号墳、35号墳はこの図より
東側(図の下側)に位置する
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【発掘調査された古墳 詳細】●古墳 14基
(前方後円墳8基、円墳5基、不明1基)
●前方後円墳 周溝内
(磯床墓、土域墓9基以上)
●小石室2基、
●円筒埴輪棺1基
●土域(墓)1基
●方墳or方形周溝墓2基
●古墳2基(確認のみ)
●低墳丘古墳 11基以上(測量のみ)
(調査区域南側、台林寺・天満宮周辺)
台林寺・天満宮周辺と、飯塚31号以外は、調査後、消滅した。
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